愛知県豊橋市に鎮座する
県下筆頭の八幡宮
社伝によると白鳳年間の創立と伝えられています。古来、武門武将の崇敬が篤く、永祿四年十一月、今川氏真は社領十三貫七百文並びに神主屋敷高畑五百歩を寄進。慶安二年、徳川幕府は社領十石並びに神主屋敷共に寄進の朱印状を寄せられ、明治維新にまで及びました。
永正二年、牧野成時が吉田城の築城に際し、当社に祈願し霊験があり以後、歴代吉田城主の崇敬が篤く、社殿の造営、神宝の寄進が度々ありました。
明治四十年、神饌幣帛料供進社に指定、大正十三年に郷社に列せられ、終戦後、神社等級制度で七級社となり、昭和四十二年には四級社に昇格、県下の八幡宮の筆頭となっております。
昭和三十九年に本殿以下社殿、昭和四十六年には参集殿、昭和五十年八月には社務所の造営と面目を一新しました。
境内面積は約二千坪、氏子は豊橋市の中核部十九ヶ町、戸数三千五百戸を数え、氏子の方々と共に御社運の隆昌をみつつ現在にいたっております。
十月の例祭には東三河特有の大筒・手筒花火が数多く奉揚されています。
又、当社の神主として著名な羽田野敬雄らが設立した羽田八幡宮文庫は、近代的図書館のさきがけとして注目されており、現存する建物は、国登録有形文化財となっております。
国登録有形文化財
嘉永元年、国学者であり、神職でもある羽田野敬雄らを中心にして開設。平成十二年には「旧羽田八幡宮文庫正門」「旧羽田野家住宅母屋」「旧羽田八幡宮文庫」の三件が国登録有形文化財に登録されました。
国登録有形文化財
羽田八幡宮文庫
について
嘉永元(1,848)年3月、吉田の町民である福谷藤左衛門世黄(よつぎ)の別荘に羽田八幡宮神主の羽田野敬雄や佐野蓬宇(ほうう)らが集まり雑談をしていました。そのとき、福谷が「文庫を造って子孫に書籍を残したい」と言いました。羽田野は「子孫が大事にするとは限らないので、伊勢神宮にならって神社境内に建てれば永く伝えられるであろう」と賛成しました。みんなに意見を聞き、文庫を造ることが決まりました。
羽田野敬雄らは、同年5月に文庫造立講をつくって広く町民らに出資を呼びかけました。その結果、町民や医師、神職などから基金187両3分(現在のお金で約800万円)が集まりました。
翌月には吉田藩寺社役所から文庫造立の許可を得ました。そして、神主屋敷内に2間3間の藏の建築に取り掛かり、嘉永3(1,851)年四月に文庫が完成しました。
文庫の書籍は、文庫の完成前から奉納(寄附)により集めました。羽田野敬雄と15人の発起人が「三河国羽田八幡宮文庫 奉納書籍勧進」という引札(チラシ)をつくり、町民らに奉納を呼びかけました。そして、文庫の発起人である福谷世黄からは300巻(巻は冊とほぼ同じ)、佐野蓬宇からは1,000巻、羽田野敬雄からは600部が奉納されました。また、新居宿本陣の飯田温徳(はるよし)は敬雄の甥にあたり、本陣に宿泊する大名や公家に依頼して書籍や扁額が奉納されました。このほか、水戸藩主徳川斉昭、吉田藩主松平信古、国学者の平田鉄胤らが書籍を奉納しています。書籍の購入も、羽田野は大阪の本屋へ旅立ち、書籍を購入していました。また、羽田野は筆まめな人であったため、見聞録の自著や自写本なども数多く記して奉納しました。
こうして羽田野敬雄ら発起人の書籍勧進の呼びかけにより安政2(1,855)年には、1,000部5,100巻を数えました。万延元(1,860)年には1,619部7,555巻、文久元(1,861)年には1,686部7,867巻、そして慶応3(1,867)年には文庫の蔵書は10,000巻を数え、着々と増えていきました。
明治9(1,876)年7月、『羽田文庫蔵書目録』の巻末に記された「文庫蔵書員数検記」によると、総計は2,515部10,369巻を数えており、蔵書数が最も多い数になっています。しかし、明治15年に羽田野敬雄が85歳で亡くなると、文庫はしだいに衰退して明治40(1,907)年頃には閉鎖され、蔵書は売却されました。
文庫の閉鎖とともに、書籍の大部分は「名古屋文庫」創立を計画した川瀬代助へ、残りの一部は岩瀬文庫、牧野文庫等へ売却されました。こうしたなか、明治44(1,911)年頃に石巻神社の神主で羽田八幡宮の神主を兼任していた大木聟治(むこじ)は、私財を投じて流出した文庫の書籍を買い戻し、一部は流出しましたが、約9,200冊が回収されました。
明治39(1,906)年に市制を施行した豊橋市は、市立図書館をつくるために明治44(1,911)年9月の市議会で図書館設立の議案を上程し、可決されました。そして同年11月、大木聟治から文庫の旧蔵書9,271巻を3,000円で買い取りました。その結果、明治45(1,912)年に豊橋市立図書館(旧称)は創立し、大正2(1,913)年1月に花田町守下で開館しました。
平成10(1,998)年には、当時の羽田八幡宮白井義美宮司の弟にあたられます、鶴岡八幡宮白井永二名誉宮司のご尽力で文庫跡地と現存する建物が羽田八幡宮所有となり、その後、平成12(2,000)年「旧羽田八幡宮文庫正門」「旧羽田野家住宅母屋」「旧羽田八幡宮文庫」の三件が国登録有形文化財に登録されました。
豊橋市文化財指定記念羽田八幡宮文庫展 記念冊子より
当社境内にて写真撮影をされる方々へ
羽田八幡宮での
撮影について
01.撮影のお申し込み
トラブルを避ける為に、撮影の申し込みは必ずカメラマンが行ってください。カメラマンの方に「撮影許可証」をお渡しいたします。写真館・カメラマン(営利目的)を通じて撮影をされます方は、カメラマンの方と共に社務所にお越しくださいます様、お願い申し上げます。
02.初穂料について
撮影料金は、御祈祷を受けられます方は撮影無料とします。営利目的とした撮影のみの場合は、初穂料をお納めいただきます。
03.立ち入り禁止となる場合
撮影許可証の未返却や無断で撮影を行った事が判明した写真館・カメラマンは今後の立ち入りをお断りさせて頂く事がありますので予めご了承ください。